創業時と先代の逸話
今回、お邪魔したのは東京の高田馬場にあり、人気の中華料理屋「一番飯店」さんです。
今回インタビューを受けてくださったのは、二代目店主の山本義家さんです。
Q.お店の創業はいつ頃で、きっかけがあったのですか?
A.先代が銀座の飲食店で働いている時、榎本健一さん(エノケンの愛称で愛された日本を代表する昭和の大俳優)に可愛がられ、さまざまな場所で「腕の良い料理人がいるんだよ」と周囲の人に話してくれたそうです。
やがて、現在の 東京都庭園美術館の場所に、1954年まであった首相官邸で、当時、首相だった吉田茂や白洲次郎といった大物政治家にまで料理を提供する、官邸お抱えの料理人になったそうです。
そこで「呼ばれたらいつでも行けるように」と、1952年5月、首相官邸近くの白金台に、最初のお店を出店しました。
さらに、当時は東京で一番の繁華街だった浅草に、新たに出店したことで事業に失敗。夜逃げ同然で高田馬場に辿り着き、現在のお店を1954年に開業したそうです。
人気メニュー誕生秘話
Q.漫画家の手塚治虫先生考案の料理があるそうですが、どんなエピソードがありますか?
A.高田馬場に手塚治虫先生が作った 手塚プロダクションが近所にあったご縁で、出前の注文が頻繁にあったそうです。
先生は大変気前が良い人で、会社で働くスタッフはもちろん、漫画の原稿を待つ出版社の人にまで、一番飯店の料理を出前で食べさせていたそうです。
当時の先生は連載8本をかかえ、多忙を極めていたこともあり、食事は一日一食のみ。
そんなある日、マネージャーを通じて「先生の食べたい食材だけで、焼きそばを作って欲しい」という注文が入り、先代主人が作ったのが「特選上海焼きそば」だそうです。
「特選上海焼きそば」は、ずっと先生だけの特注料理だったのですが、十数年前に手塚プロダクションの人から「手塚治虫の名前を広める意味で、料理をお店で出して欲しい」とお願いされ、正式なメニューとして復活。もちろん今では、店一番の人気メニューになったそうです。
トマトが大嫌いな人気イケメン俳優
Q.長年お店をやられている中で、逸話などがあれば教えてください。
A.テレビや雑誌など取材依頼があれば、山本さんは基本的に断ったりしないそうで、お店に芸能人の方が訪れることもしばしばあるそうです。
ある日、取材でお店に訪れたのが人気若手イケメン俳優。事前にマネージャーの方から「彼はトマトが苦手なのでNGでお願いします」と申し出があったそうです。
ところが取材当日、他のお客様が食べていた「トマトタンメン」を見るなり、「僕もあれを食べてみたい」と想像もしなかった言葉が・・・。すぐさま料理を作り、食べてもらうと「全然イケる!」と、それ以来、彼のトマト嫌いは治ってしまったそうです。
コロナ渦での苦悩
Q.ここ1、2年はコロナ渦ということもあり、大変な御苦労だと思いますが、影響はありましたか?
A.「お酒を出せないのが何より大変だったよ。ラーメンは5杯も食べられないけど、ビールは5本飲むでしょ?」言われてみれば、自分にも思い当たる節が。
やはり、飲食店にとっての酒類販売禁止は大変だったようで「酒屋さんにも申し訳なかった」と当時を振り返っていました。
「それでも営業時間を早めたり、中休み無く営業したりして、乗り切れたんだから大丈夫だよ」と、現在は、コロナ前に比べ80%ほどまで、お客様が戻ってきているそうです。
中華料理にコーヒー?
Q.料理をしていて楽しいと思える瞬間は、どんな時ですか?
A.「お客様が喜ぶ顔を見る時だよ」と、実に料理人らしい答えが返ってきました。
すると「ランチタイムを過ぎると、コーヒーをサービスで出しているんだよ。中華料理屋でコーヒーなんて珍しいでしょ?」たしかに中華料理屋さんと言えば、ジャスミン茶や烏龍茶が定番だが・・・。
コーヒーは、フレンチ・シェフの友人に頼んで、メーカーを紹介してもらったものの、「中華料理屋でコーヒーですか?」メーカーも当初は困惑して「コーヒーを出した中華料理屋はウチがはじめてじゃないかな」とのことです。
コーヒーをサービスで出す理由は、実に明快で「中華料理を食べ終えると、コーヒー飲んでサッパリしたいもんだし、何よりお客様の喜ぶ顔が見たいんだよね」
来店されるお客様に喜んでもらうためには、既成概念に因われないアイデアや創意工夫があるからこそ、お店を長く続けていけるのも納得します。
暖簾を守るということ
Q.お店にはどんな客層のお客様が来られますか?
A.幅広い年代のお客様が来店されています。20〜30年通っている常連のお客様も多く、90歳を超える御夫婦が60年以上も通われていることには驚かされました。
多くの常連さんがいるので「基本的な味はほとんど変えていないよ」。味を変えないことが、どれだけ大変であるかを感じさせほど、サラッと話してくれました。
「常連のお客様を裏切れないし、暖簾を守るのはそういうこと」言葉の奥には、店主の料理人としての力強いプライドを垣間見ることができました。
「餃子美味しかったです!」と伝えると、「あれは息子が作っているんだよ。美味しいだろ?」と、誇らしげに教えてくれました。
現在、いっしょに厨房に立つのは、息子で三代目の隆正さん。
「全ての料理はまだ任せられないけど」と言いつつも、二代目と変わらない味を作り出す料理の腕や、手作り餃子のセンスを褒めていました。
町の飲食店に後継者がいないことで、次々と名店が閉店するご時世。二人がいっしょに調理する姿を見ていると、ドラマの一場面でも見ているかのような「幸せな気分」になれました。
仕事と子供食堂
Q.これから、どのようにしたいかなどありますか?
A.「これからも調理場に立ち続けたいよ」と、力強く話されるには理由がありました。
「数年前、後輩に誘われてからボランティア活動を続けているんだよ」毎月30kgのお米を契約農家から、社会福祉協議会を通じて子供食堂へ寄付しています。
「子供たちやお客様の笑顔をずっと見ていたいから、料理を続けるよ」
お店のようす
お店は西武新宿線もしくはJR山手線の「高田馬場」駅から落合方面に早稲田通りを歩いて10分ほどの場所にあります。
2021年11月に改装工事をしたばかりなので、町中華というよりもキレイな中華料理屋さんという印象です。
2階はカフェのような雰囲気で、実際に食事をした際は落ち着いて居心地が良い場所でした。
中休みの時間にお邪魔させて頂いたのですが、営業時間中はお客様が絶えずほぼ満席の盛況ぶりです。
あとがき
インタービュー序盤から、榎本健一さんや吉田茂、白洲次郎など大御所の名前が出て、想像もしなかった内容に度肝を抜かれるばかり。食事をしているだけでは知ることもないできない話が次々と。
一番飯店は、先代の紆余曲折を得て、創業から数えると69年目(取材当時2021年12月)。2022年は創業70周年を迎えるということもあり、現在の二代目と三代目が、いっしょに調理場に立つ見事な二人三脚は、かなり充実した状態にあるのではないでしょうか。
今回のインタビューは、食べ歩きの情報サイトである「うまいもの大好き」が、コロナ渦で大変な思いを経験された、飲食業界に対して「何か恩返しができないか?」とはじめた企画です。
実際にお店を切り盛りされる方から話を聞くと、料理に対する考えや、インタビューを受けて頂いた二代目店主の山本義家さんに感動を頂いてばかりで、充実した楽しい時間を過ごせました。