
池波正太郎が愛したお店

池波正太郎(1923-1990)は、日本を代表する時代小説作家であり、『鬼平犯科帳』や『剣客商売』などの作品で広く知られる。彼の小説は、剣豪や侠客たちの生き様を描きつつも、登場人物が食を楽しむ場面が多く登場することが特徴である。池波自身が大の食通であり、そのこだわりが作品にも反映されている。
池波は、江戸時代の食文化を精緻に描写するだけでなく、現代の名店を訪れ、自らのエッセイや日記に記録することも欠かさなかった。彼の随筆『散歩のとき何か食べたくなって』には、東京の老舗や地方の隠れた名店での食事体験が綴られており、食への深い愛情が感じられる。特に洋食への関心が強く、とんかつやビフテキ、カレーライスなどの庶民的な料理をこよなく愛した。
また、池波作品の食事シーンは、ただの彩りではなく、登場人物の人柄や物語の情緒を表現する重要な要素となっている。例えば、『鬼平犯科帳』では、鬼平こと長谷川平蔵が庶民的な料理を好むことで、彼の人情味あふれる性格が際立つ。池波正太郎の小説を読むことは、物語を楽しむだけでなく、彼の美食哲学に触れることでもある。
池波正太郎が1988年に執筆した『むかしの味』から、彼が愛した現存する名店をご紹介します。
たいめいけん

たいめいけんは、日本橋にある老舗の洋食店で、1931年(昭和6年)に創業した。初代・茂出木心護が開いたこの店は、戦前から日本の洋食文化を支えてきた名店の一つであり、現在も変わらぬ人気を誇る。名物の「タンポポオムライス」や「ボルシチ」、「コールスロー」は、多くの客に親しまれている。
作家・池波正太郎もまた、たいめいけんを愛した一人であり、随筆や日記の中で何度もこの店について触れている。特に彼が好んだのは、ビーフシチューやカツサンドであり、昭和の味を大切に守るこの店の料理に強い愛着を持っていた。
彼のエッセイ『散歩のとき何か食べたくなって』にも、たいめいけんの料理が登場し、池波は「気取らずに楽しめる本物の洋食」と評している。

また、たいめいけんは「一階は庶民的な洋食、二階は本格的な洋食」とスタイルを分け、幅広い客層に対応してきた。こうした柔軟さと伝統の味が、多くの食通に愛される理由である。
池波正太郎が通った昭和の頃から、たいめいけんは今もなお、日本橋の名店としてその味を守り続けている。
- たいめいけん
- 洋食
- 東京都中央区日本橋室町1-8-6
- 【1F】[平日]11:00~21:00(L.O.20:30)[日・祝]11:00~20:00 (L.O.19:30)【2F】11:30~15:00 (L.O.14:00) 17:00~21:00 (L.O.20:00)
- 【1F】月曜日【2F】日曜日・月曜
- 2000円〜2999円
神田まつや

神田まつやは、東京都千代田区神田にある老舗の蕎麦店で、1884年(明治17年)に創業した。140年近い歴史を持ち、東京を代表する蕎麦の名店として多くの人々に親しまれている。江戸時代の蕎麦文化を今に伝える「江戸前蕎麦」の名店として知られ、細めでコシのある蕎麦と、濃いめの辛口つゆが特徴である。
作家・池波正太郎も、無類の蕎麦好きとして足繁く通った一人だった。彼の随筆やエッセイにはこの店の蕎麦がしばしば登場している。特に「鴨南ばんそば」を愛し、冬の寒い日にここで温まりながら食べるのが楽しみだったという。池波は、神田まつやの蕎麦を「江戸の粋が詰まった一杯」と評し、職人の技が光るシンプルながら奥深い味わいを絶賛している。

店の趣ある木造建築も魅力の一つで、昭和の面影を残す空間が池波の好みにも合っていた。池波作品に登場する江戸の職人や侠客たちが足を運びそうな雰囲気があり、彼が通い続けた理由もうかがえる。
現在も、昔ながらの製法を守りながら、老舗の味と風情を楽しめる名店として、多くの蕎麦好きに愛されている。
- 神田まつや
- 蕎麦
- 東京都千代田区神田須田町1-13
- 火・水・木・金11:00 – 20:30L.O. 20:00土・祝日11:00 – 19:30L.O. 19:00
- 月・日
- 2000円〜2999円
竹むら

竹むらは、東京都千代田区神田須田町にある老舗の甘味処で、1930年(昭和5年)に創業した。名物の「揚げまんじゅう」をはじめ、「あんみつ」や「おしるこ」など、昔ながらの甘味を提供し続けている。関東大震災後に建てられた昭和初期の木造建築がそのまま残り、風情ある店構えも魅力の一つである。
作家・池波正太郎もこの店を愛し、随筆やエッセイの中で何度も言及している。特に彼が好んだのは、「揚げまんじゅう」と「粟ぜんざい」で、江戸情緒を感じさせる甘味を楽しんでいた。竹むらで甘味を味わいながら、神田界隈の歴史や風景に思いを馳せる様子が描かれている。

竹むらの建物は、池波作品の世界観とも重なる雰囲気を持ち、『鬼平犯科帳』や『剣客商売』に登場する江戸の茶屋を彷彿とさせる。
現在も変わらぬ佇まいで営業を続け、池波ファンや甘味好きの人々が訪れる名店である。昔ながらの味と空間を守り続ける竹むらは、池波正太郎が愛した「江戸の粋」を今に伝えている。
煉瓦亭

煉瓦亭(れんがてい)は、東京都中央区銀座にある老舗の洋食店で、1895年(明治28年)に創業した。日本における「洋食文化の草分け的存在」であり、「カツレツ(ポークカツレツ)」や「オムライス」、「ハヤシライス」などの発祥の店としても知られる。特に、肉を叩かずにそのまま揚げる「元祖ポークカツレツ」は、現在のとんかつの原型とも言われている。
作家・池波正太郎もまた、煉瓦亭をこよなく愛した食通の一人だった。随筆の中で煉瓦亭の「ポークカツレツ」や「オムライス」を絶賛しており、特にこの店のオムライスには「余計な装飾のない、正統派の味」と賛辞を送っている。池波は銀座界隈を散策しながら、ふらりと煉瓦亭に立ち寄り、昭和の洋食文化に思いを馳せるのを楽しみにしていたという。

店の趣のあるレンガ造りの外観や、クラシカルな雰囲気の店内は、池波の作品に登場する「江戸の粋や職人の心意気」とも重なるものがあり、彼の美意識にも通じていた。
現在も変わらぬ味とスタイルを守り続ける煉瓦亭は、池波正太郎が愛した「本物の洋食」を堪能できる名店として、多くの人々に親しまれている。
- 煉瓦亭
- 洋食、オムライス、肉料理
- 東京都中央区銀座3-5-16
- 11:15 – 15:00L.O. 14:0017:30 – 21:00L.O. 20:00
- 日曜日
- 3000円〜3999円
イノダコーヒ

イノダコーヒは、京都を代表する老舗喫茶店で、1940年(昭和15年)に創業した。戦前から続く歴史あるカフェ文化の象徴的存在であり、京都の人々だけでなく観光客にも親しまれている。
イノダコーヒの特徴は、「京の喫茶文化」を体現する独自のスタイルにある。特に「アラビアの真珠」と名付けられた濃厚で香り高いブレンドコーヒーは、砂糖とミルクを入れた状態で提供されるのが伝統であり、これは京都の喫茶店文化の独特なこだわりの一つである。

作家・池波正太郎も、京都を訪れる際には必ずイノダコーヒに立ち寄ったことで知られる。彼の随筆の中で、「京都の朝はイノダコーヒーで始まる」という一節があり、モーニングセットを楽しむ様子が描かれている。特に、厚切りのトースト、スクランブルエッグ、ハムとともに味わうコーヒーは、彼にとって京都滞在の楽しみの一つだった。
イノダコーヒの本店はレトロでクラシカルな洋館風の建築が特徴であり、池波が愛した「昭和の喫茶店の趣」を今もなお残している。池波正太郎が愛した味と空間は、現在も変わらず京都の人々や旅人を魅了し続けている。
村上開新堂

京都の村上開新堂は、1907年(明治40年)に創業した老舗の洋菓子店である。創業者・村上光保は、当時まだ珍しかった西洋菓子を広めるべく店を構えた。看板商品の「ロシアケーキ」やクッキーは、創業当時の製法を守り続け、素朴で優しい味わいが特徴である。
村上開新堂の特筆すべき点は「完全紹介制」という独特の販売方式である。これは常連客の紹介がなければ新規購入ができない仕組みで、品質と顧客の信頼を何よりも重視する姿勢がうかがえる。

作家・池波正太郎もこの店を愛した一人であり、エッセイの中で「贈り物として村上開新堂のクッキーをもらうと嬉しい」と記している。
彼は食に対するこだわりが強く、村上開新堂の変わらぬ味わいに信頼を寄せていたことがうかがえる。100年以上の歴史を誇るこの店は、今もなお京都の風情とともに、多くの人々に親しまれている。
駒形前川 浅草本店

駒形前川 浅草本店は、江戸時代後期の1805年(文化2年)に創業した、東京・浅草の老舗鰻店である。創業から200年以上の歴史を持ち、隅田川沿いに位置する店からは、東京スカイツリーや川の景色を眺めながら食事を楽しめます。
江戸前の伝統的な「蒸し焼き」製法にこだわり、ふっくら柔らかく仕上げた鰻が特徴だ。秘伝のタレは代々受け継がれ、程よい甘さと香ばしさが鰻の旨味を引き立てる。

池波正太郎も駒形前川をこよなく愛した一人でエッセイにも登場する。池波は、粋な江戸の食文化を重んじ、特に鰻には強いこだわりを持っていた。彼は「駒形前川の鰻はしっかりとした江戸前の味で、これこそ本物」と評し、たびたび足を運んだという。
老舗ならではの品格と、江戸の味を守り続ける職人の技が詰まった駒形前川は、今もなお食通たちに愛され続けている。
刀屋

刀屋は、長野県上田市にある老舗の蕎麦屋で、創業は明治時代とされる。上田藩ゆかりの地に店を構え、地元の人々のみならず観光客にも広く愛されている。
最大の特徴は、豪快な盛りの「もりそば」で、一般的な蕎麦屋の2~3倍の量が提供されることでも知られる。蕎麦は地元産のそば粉を使用し、しっかりとしたコシと素朴な風味が味わえる。つゆはやや辛口で、蕎麦の風味を引き立てる江戸風の仕上がりだ。

池波正太郎も刀屋をこよなく愛した一人であり、上田を舞台にした『真田太平記』の執筆時によく訪れ、特に「もりそばの中盛」を好んで食べていたという。池波曰く「ここの蕎麦は、たっぷり食べてこそ美味い」。彼のように「中盛」や「大盛」に挑戦する客も多いが、初めて訪れる人は「小盛」でも十分な量とされる。
歴史と風格を持ちながら、気取らない雰囲気で地元の味を提供する刀屋は、池波正太郎の足跡をたどる蕎麦好きにとっても特別な店である。
花ぶさ

花ぶさは、東京・外神田にある老舗の日本料理店で、戦後間もない1948年(昭和23年)に創業しました。旬の魚介を中心とした繊細な和食が楽しめる名店であり、特に「お造り」や「煮魚」は評判が高い。
日本酒の品揃えも豊富で、料理との相性を考えた組み合わせが魅力の一つである。派手さはないが、丁寧な仕事と落ち着いた雰囲気が、多くの食通を引きつけてきた。

池波正太郎も花ぶさの常連であり、エッセイ『散歩のとき何か食べたくなって』や『男の作法』などにしばしば登場する。池波は花ぶさの気取らない雰囲気と、職人が手がける端正な料理を高く評価し、「外神田で気軽に美味い魚を食べたくなったら、ここに限る」と語っている。彼はカウンターに座り、板前との会話を楽しみながら酒を傾け、旬の料理を堪能していたという。
池波正太郎の美学に通じる**「粋」**を体現した花ぶさは、今も変わらぬ味と心遣いで、訪れる人々をもてなしている。
資生堂パーラー 銀座本店

資生堂パーラー 銀座本店は、1902年(明治35年)に東京・銀座で創業した老舗の洋食レストランである。もともとは資生堂薬局が設けたソーダファウンテンが始まりで、当時としては珍しいアイスクリームソーダを提供したことが人気を集めた。
その後、本格的な洋食レストランへと発展し、現在も変わらぬクラシックな洋食メニューが楽しめる。なかでも「ビーフカレー」「オムライス」「プリンアラモード」などは看板メニューとして知られ、多くの食通に愛されている。

池波正太郎も資生堂パーラーを贔屓にしており、エッセイ『散歩のとき何か食べたくなって』などでたびたび言及している。池波は洋食にも強いこだわりを持ち、ここでは「カレーライス」や「ハヤシライス」を楽しんでいたという。また、資生堂パーラーの格式ある雰囲気を好み、「銀座の洋食文化を象徴する存在」として評価していた。
創業から120年以上経った現在も、資生堂パーラーは銀座のシンボルとして、多くの人々に愛され続けている。池波正太郎が愛した**「正統派の洋食」**を味わえる場所として、その伝統は今も息づいている。
蛸長

蛸長(たこちょう)は、京都の木屋町にある老舗の割烹料理店で、江戸時代後期(1800年代)に創業したとされる。
格式ばらない雰囲気の中で、京都の旬の味覚を生かした料理が楽しめる名店である。特に、鯖寿司、ぐじ(甘鯛)の塩焼き、鯛のあら炊きなど、シンプルながらも素材の旨味を引き出す料理が評判を呼んでいる。風情ある町家の店構えと、温かいもてなしも魅力の一つである。

池波は「京都に来たら一度はここに寄らねばならぬ」と語るほど、この店の味と雰囲気を気に入っていた。特に鯖寿司とぐじの塩焼きを好み、「余計なことをせず、素材を生かした料理こそが美味」と評している。彼はこの店の静かで落ち着いた雰囲気も楽しみながら、ゆっくりと食事を味わったという。
京都の老舗らしい品格と温かさを併せ持つ蛸長は、池波正太郎が愛した味を今も受け継ぎ、訪れる人々を魅了し続けている。
あぶり餅 本家 根元 かざりや

かざりやは、京都・今宮神社の門前にある老舗の和菓子店で、江戸時代中期(18世紀)に創業したとされる。
名物は、香ばしく焼き上げた「あぶり餅」で、日本最古の餅菓子ともいわれる。竹串に小さくちぎった餅を刺し、炭火で丁寧に炙った後、白味噌の甘いタレを絡めるのが特徴で、香ばしさと優しい甘さが絶妙に調和する。今宮神社の参拝客や観光客に愛され続ける京都の味である。

池波は、京都に訪れるたびに今宮神社へ足を運び、「ここのあぶり餅を食べると、京都に来たと実感できる」と述べている。炭火で炙られる光景や、白味噌の香りが漂う店の風情も、彼にとって京都らしさを感じる大切な要素だった。
江戸時代から続く伝統の味と、変わらぬおもてなしで、多くの人々を魅了し続ける「かざりや」。池波正太郎が愛した京都の風情を、今も堪能できる貴重な一軒である。
グリルABC

グリルABCは、大阪・西天満にある老舗の洋食店で、1946年(昭和21年)に創業した。戦後間もない時期から営業を続ける、大阪を代表する洋食の名店である。
看板メニューは、昔ながらのビフカツ(ビーフカツレツ)で、サクサクの衣とジューシーな肉のバランスが絶妙な逸品だ。また、デミグラスソースをたっぷりかけたハヤシライスや、ふんわりと仕上げたオムライスも人気があり、どの料理も昭和の洋食文化を色濃く残している。

池波は特にビフカツを好み、「大阪に来たら必ず食べねばならぬ」と絶賛していた。彼は、東京の洋食とはひと味違う大阪ならではの濃厚なデミグラスソースや、カラッと揚がったビフカツの仕上がりを楽しみ、何度も訪れていたという。
時代が変わっても、昭和の味と温かみを守り続けるグリルABC。池波正太郎が愛した本物の洋食を、今も大阪の地で味わうことができる貴重な店である。
大黒

大黒は、大阪・ミナミの法善寺横丁にある老舗の串カツ店で、創業は昭和初期(1930年代)とされる。大阪の庶民の味である串カツを提供し続け、長年にわたり食通たちに愛されてきた名店である。
特徴は、サクッと軽い衣と絶妙な揚げ加減にあり、ソースの味も濃すぎず素材の旨味を引き立てる。特に牛カツや海老、アスパラガスなどが人気で、昔ながらのカウンターで気軽に味わえるのも魅力の一つだ。

池波は、東京の天ぷらとは異なる、大阪ならではの串カツの魅力に惹かれ、「ここで食べる串カツは別格」と絶賛していた。特に、カリッと揚がった牛カツを頬張りながら、ビールを楽しむのが彼の定番だったという。
大阪の風情が残る法善寺横丁の一角で、今も変わらぬ味を提供し続ける大黒。池波正太郎が愛した「本物の大阪の串カツ」を堪能できる、歴史ある名店である。
清風楼

清風楼は、横浜・中華街にある老舗の中華料理店で、創業は1927年(昭和2年)に遡る。横浜の中華街の中でも、長い歴史を誇るこの店は、本格的な広東料理を提供することで知られ、特に北京ダックやフカヒレ、点心が名物として人気を集めている。
料理は、素材にこだわり、丁寧に仕込まれたスープや絶妙な火加減で仕上げた料理が特徴で、家庭的ながらも洗練された味わいが魅力だ。店内は落ち着いた雰囲気で、広東料理の伝統を大切にしたスタイルが漂う。

池波は横浜を訪れた際、清風楼の料理を好んで味わい、特に北京ダックを絶賛していた。彼は「ここで食べる北京ダックは、まるで北京で食べているような味わいだ」と語り、料理の品質と伝統に深い感銘を受けていたという。また、池波が清風楼を訪れる際は、いつも親しい友人たちと共にゆっくりと食事を楽しんだというエピソードが残っている。
横浜・中華街の歴史を象徴する清風楼は、池波正太郎が愛した味を今も受け継いでおり、長年にわたり多くの食通に愛され続けている名店である。
- 清風楼
- 中華料理、飲茶・点心
- 神奈川県横浜市中区山下町190
- 月・火・水・金・土11:45 – 14:30L.O. 14:0017:00 – 20:30L.O. 20:00日・祝日12:00 – 19:30L.O. 19:00
- 木曜日
- 1000円〜1999円
蓬莱閣

清風楼は、横浜・中華街にある老舗の中華料理店で、創業は昭和20年(1945年)とされる。戦後間もなく開業し、本格的な広東料理を提供することで知られる名店である。
なかでも、チャーハンとシュウマイが名物として人気を博している。特にチャーハンは、パラリとした米の食感と深みのある味わいが特徴で、シュウマイは大ぶりで肉の旨味が詰まった逸品として評判が高い。観光客のみならず、地元の常連客にも長年愛され続けている。

池波は特にチャーハンを気に入り、「ここで食べるチャーハンは、余計なものを加えずシンプルながらも実に旨い」と評している。また、肉汁たっぷりのシュウマイもお気に入りで、横浜に訪れる際には必ず立ち寄る店のひとつだったという。
戦後から続く老舗として、伝統の味を守り続ける清風楼。池波正太郎が愛した「本物のチャーハンとシュウマイ」は、今も変わらず横浜・中華街の名物として多くの人々に親しまれている。
- 清風楼
- 中華料理、餃子
- 神奈川県横浜市中区山下町189
- 月・火・木・金11:30 – 14:3017:00 – 20:00土・日・祝日11:30 – 20:00
- 水曜日
- 2000円〜2999円