蕎麦懐石 さくら荘
今回、お伺いしたのは、埼玉県を横切る高速道の圏央道鶴ヶ島インターチェンジからほど近い場所にあり、懐石料理とお蕎麦が楽しめる「蕎麦懐石 さくら荘」さんです。
インタビューを受けて頂いたのは、二代目店主で、取締役を務める内野康昭さんです。
蕎麦屋の御主人というと、どうしても先入観で、「強面で頑固なオヤジ」というイメージがありますが、内野さんは物腰も柔らかく、インタビュー中に話をしている時でも、非常に笑顔が印象的で温和な方でした。
父との衝突
Q.お店の創業はいつ頃で、きっかけがあったのですか?
A.1981年に、先代(お父さん)と叔父さんが、市内の駅前で料理屋「いわしや ますみ」として開業しました。その後、先代が現在の場所へ移り、宴会を中心とする料理屋をはじめました。
お店は、長年に渡って地元のお客様を中心に宴会をメインに営業をしていました。内野さんが料理修行を終え、先代と一緒にお店を切り盛りし始めると、お店の方針や仕事の仕方など、さまざまな場面で二人は衝突を繰り返してしまいました。実の親子とはいえ、関係性や考え方の違いには大変苦労したそうです。
お互いに話し合いを続ける中で、徐々に先代からの理解を得ることができ、2019年に二代目の康昭さんに代替わりをして、宴会スタイルで大人数のお客様の接客から、現在の少人数スタイルへと移行しました。
愛される料理
Q.お店にはどんな客層の方が来られますか?
A.蕎麦が好きな人が多いですが、昼間からお酒を飲んで料理を楽しむ「通」な人も来られます。
お店で提供されている蕎麦は、毎日、石臼で自家製粉した蕎麦粉を手打ちして提供しています。蕎麦粉は、埼玉の三芳町産や、茨城県常陸市など、季節や気温などに合わせて全国の蕎麦粉をブレンドして提供しています。
コロナ渦の影響で、アルコールの提供や大口予約が無くなってしまったり、お店への影響はゼロではありませんでした。
しかし、代替わりをして少人数へ移行したタイミングが、コロナ流行期と重なったことが、結果的には功を奏し、柔軟に対応できたそうです。
現在では蕎麦好きはもちろんのこと、料理好きからも評価を得るようになり、地元のお客様だけでなく、遠方からも多くのお客様にも訪れて頂けるまで知名度も上がりました。
料理への探究心
Q.現在、お店で人気の料理があれば教えてください。
A.鹿、雉(きじ)、鴨、鳩などのジビエ料理が好評を得ています。野菜なども地元の食材を中心に、国内外問わず、さまざまな自然食材をつかって、モダンな料理をつくるように心掛けています。
内野さんの料理人としてのキャリアは、学生時代に飲食店でのアルバイトにはじまり、目白で茶懐石の名店として名高かった「和幸」、立川で全国の蕎麦通を唸らせる「蕎麦懐石 無庵」、名店と言われるお店をはじめ、イタリアンなどジャンル問わず修行を経験されてきました。
修行時代に得た経験から、新たな調理方法や食材を模索し、料理に対する考え方を進化させ、お客様に提供する料理に反映させ、日々アップデートし続けています。
内野さん自身は、家族のいる東京の自宅から埼玉の実家で現在は単身赴任状態とのこと。料理や食材に没頭できる環境を認めてくれている奥様や家族に非常に感謝しているそうです。
これからのお店作り
Q.今後、お店をどのよう風にしていきたいですか? また、お客様に伝えたいことがあれば教えてください。
A.店舗を農家家屋内にあるような、囲炉裏や土間のようなオープンキッチンにしたり、自家農園などで自給自足で自然食材をまかない、「家に招き入れおもてなしする」。そんなお店をイメージしています。
「十年後、二十年後も愛され、お客様に喜ばれるような、変化を続けて行きたいです」
お店で料理を提供する際には、これからの生活に必要な考え方として、自然食材や地産地消、SDGsなど環境も強く意識されているそうです。
あとがき
内野さんは、インタビュー翌日、長野県までジビエ料理を食べに行かれるなど、常に料理への探求心と、好奇心が尽きないという印象を受けつつ、食べ歩きをしている私にも、同じ視点で物事を見てくれるような懐の深さを感じました。
話を聞いている中で、地元食材をつかって料理を作ることだけでなく、将来的には地元を活性化して、「多くの人が目指して来るような場所にしたい」と、語られていました。
話の物腰も柔らかく、多くの人からも愛されている内野さんなら、「理想のお店を実現できてしまうのかも」と、思わせてくれました。
そんな大きな夢を持つダイナミックな部分と、調理や食材への思いが、お店で提供されている料理にも出ているからこそ、多くの人に愛されるお店になったのではないでしょうか。
進化し続ける内野さんのお店や料理に、これからも注目していきたいと思います。