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【蕎麦】蕎麦屋でよく聞く砂場や藪、更科って何のこと?

蕎麦屋でよく見かける「砂場(すなば)」や「藪(やぶ)」、「更科(さらしな)」という店名を聞くことはあるが「何が違うのか?」 それぞれの名前には意外と知られていないルーツや歴史がありました。

Published on: 2021/01/15

蕎麦屋でよく聞く砂場や藪、更科って何のこと?

年間100軒以上の食べ歩きニストが教える食の知識です。

今回のテーマは、蕎麦屋でよく見かける「砂場(すなば)」や「藪(やぶ)」、「更科(さらしな)」という店名を聞くことはあるが「何が違うのか?」

それぞれの屋号には意外と知られていないルーツや歴史がありましたので解説します。

※できるかぎり文献などを調べた上のことを記載しておりますが、歴史的に諸説あるものなどもありますこと御了承くださいませ。

御三家

東京 虎ノ門 大坂屋 砂場 本店|蕎麦

「砂場(すなば)」や「藪(やぶ)」、「更科(さらしな)」は単純にいってしまえば「屋号」であり、長い歴史の中で暖簾分けなどを繰り返しながらも現在まで残っているもので、茶道でいう流派のようなものだといえるでしょう。

江戸(東京)の蕎麦屋さんの中でも「砂場(すなば)」や「藪(やぶ)」、「更科(さらしな)」の3つの屋号は「御三家」や「江戸蕎麦御三家」、「三大暖簾」などと特別な存在として長い歴史を持ち、蕎麦好きはもちろんのこと江戸の庶民の味として愛され続けています。

砂場

砂場「和泉屋」店内

「砂場(すなば)」は3つの暖簾(屋号)のなかでも最も古い歴史を持つといわれ、はじまりは東京ではなく大阪だったといわれています。

1583年(天正11年)から1598年(慶長3年)にかけて豊臣秀吉が築いた大坂城。築城の際に現場で働く人のために蒸し蕎麦を「資材置き場=砂場」で提供していた「津国屋」と「和泉屋」の2つの蕎麦屋が砂場のルーツだとされています。

1730年頃の文献には砂場の店頭風景が描かれていますから、実に300年近い歴史があるということになります。(画像は砂場「いづみや」店内。摂津名所図会より)

その後江戸(東京)に移り暖簾分けなどを繰り返し、現在の東京でもその名を残しています。

砂場総本家

東京 三ノ輪 砂場総本家|外観

江戸時代に記録がある「糀町七丁目砂場藤吉」が移転して、現在も営業しているのが、南千住の三ノ輪にあるのが「砂場総本家」です。

建物は1954年の木造建築で荒川区の文化財指定を受けています。

大阪発祥の「砂場蕎麦」で東京において最も古い「砂場」の店舗とされています。

室町砂場

東京 神田 室町砂場|外観

神田駅の近く室町にあるのが「糀町七丁目砂場藤吉」から幕末に分岐したのが、「室町砂場(旧本石町砂場)」です。

蕎麦屋の定番メニューの「天ざる」や「天もり」は、1955年に室町砂場で開発されたものとされている由緒あるお店です。

大坂屋虎ノ門砂場

東京 虎ノ門 大坂屋 砂場 本店|外観

東京の虎ノ門にあるのが、室町砂場と同じように「糀町七丁目砂場藤吉」から明治初期に分岐したのが「大坂屋虎ノ門砂場」です。

もともとの建物は関東大震災直前に建てられた木造一部3階建だそうで、残念ながら現在は道路の拡張工事に伴い仮店舗で営業されています。

常連客には勝海舟や山本五十六、小泉純一郎元首相などが贔屓にしていることでも有名です。

藪蕎麦

1735年頃の文献には鬼子母神の門前茶屋と茶屋町を離れた藪の中にも蕎麦屋があったという記述があります。

その後も数々の文献に蕎麦屋があったことが記され、1861年頃には「団子坂の千(駄木)蔦屋に入り蕎麦条を食ふ」という一文があり、団子坂の近くに「蔦屋」というそば屋があり「藪そば」と呼ばれていたそうです。

「やぶそば」という名は近所の住人たちがつけた俗称で、坂の周辺に大きな竹藪があり、竹藪に囲まれたそば屋ということから「やぶそば」と呼ばれるようになったそうです。

かんだやぶそば

東京 神田 かんだやぶそば 外観

1880年頃に「蔦屋」の支店である「団子坂支店・藪蕎麦」を譲り受けたのが、神田にある人気の蕎麦屋かんだやぶそばのルーツとされています。

並木藪蕎麦

東京 浅草 並木藪蕎麦|外観

元は「団子坂藪蕎麦」の支店の蕎麦屋だったが初代・堀田七兵衛が譲り受けたのが並木藪蕎麦です。

蕎麦汁の辛さは東京一とも言われ、多くの芸人や作家さんに愛される名店です。

東京 浅草 並木藪蕎麦|そば

並木藪蕎麦さんは、グルメ漫画の先駆けとなった「美味しんぼ」にも登場するほどの有名店で、江戸の蕎麦を語る上では外すことができないお店です。

東京一と言われる蕎麦汁の辛さは、蕎麦を蕎麦汁に浸すのではなく、少しだけ付け蕎麦の風味を楽しむのが、江戸っ子らしい風情にも感じます。

更科

更科は堀井家という布屋がルーツと言われています。もともと堀井家は松平家の御用布屋で信州特産品のさらし布を持って江戸屋敷に出入していたそうです。

1789年、八代目堀井清右衛門のとき領主からそば打ちがうまいのを見込まれ布屋よりも蕎麦屋の方が良いのではと勧められ、麻布永坂町に「信州更科蕎麦所 布屋太兵衛」を創業したのが更科(さらしな)のはじまりです。

総本家更科堀井

東京 麻布十番 総本家更科堀井 本店|外観

今なお麻布十番にお店をかまえるのが総本家更科堀井さんです。

麻布十番周辺には他にも麻布永坂 更科本店永坂更科 布屋太兵衛 麻布総本店など更科系の蕎麦屋が軒を連ねています。

東京 麻布十番 総本家更科堀井 本店|さらしな

総本家更科堀井で提供されている蕎麦は、蕎麦の実の中心部分で「一番粉」や「更科粉」と呼ばれる部分だけがつかわれています。

蕎麦の見た目も、白から透明に近く非常にキレイなのが更科蕎麦の特徴でもあります。

さいごに

ここで紹介したお蕎麦屋さんは”砂場”、”藪”、”更科”といった江戸(東京)を代表するお蕎麦屋さんのみですが、蕎麦を食べる時に歴史を少し知っていると蕎麦を食べた時に味わいが少し変わってくるのではないでしょうか?

東京には約3200軒(参照:都道府県別そば屋店舗数)のお蕎麦屋さんがあり、御三家を含め日々さまざまな職人さんが蕎麦に向き合うことで江戸(東京)の蕎麦は伝統を守りつつも美味しさが進化しているのかもしれません。

※記事内で引用している内容は Wikipedia 蕎麦屋の系図を参考にさせて頂いております。

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